ケータイ辞書JLogosロゴ 宇摩荘(中世)


愛媛県>伊予三島市

鎌倉期〜室町期に見える荘園名鎌倉末期の「伊予国内宮役夫公米一向未済注文」(御裳濯和歌集紙背文書)に「宇万本庄 百五十町」とあるのが初見建武2年7月12日には「宇摩荘」が,中先代の乱で北条時行に誅殺された西園寺公宗に替わり,その弟の右兵衛督公重に安堵されている(西園寺文書)宇和荘(現宇和島市域・東宇和郡・北宇和郡)とともに伊予国における西園寺家領荘園の1つ同3年9月20日の足利尊氏下文によれば「宇麻本荘」等の地頭職が合戦での討死にの賞として三浦因幡前司貞連跡に宛行われている(宝翰類聚/宮城県史30)文和元年9月8日には「宇摩庄」がさきの西園寺公宗の子の実俊に安堵されている(園太暦)字猿田の熊野神社には「宇摩本荘竹林寺……応永十九年七月二日」と銘のある鰐口が伝わる(編年史3)猿田に隣接して元之庄という字名があり,伊予三島市東部には中之庄町・上柏町の真庄,下柏町の真庄庄境・庄境大切などの地名があるが,前者が当荘で後者が新荘であろうか現在の川之江市妻鳥町に庄境の小字が残るから宇摩荘の東限は伊予三島市下柏町と川之江市妻鳥町の間と推測されるなお川之江市大字下山に庄田,同市の大字領家に庄田・庄蔵畠などの小字が残り,荘園の存在を思わせるが,当荘に含まれていたかどうか不明現在の伊予三島市域全体に及ぶ広大な規模をもつ荘園であろう
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431051
最終更新日:2009-03-01




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