ケータイ辞書JLogosロゴ 大串(中世)


愛媛県>弓削町

鎌倉期から見える地名越智【おち】郡のうち鎌倉中期以降,弓削島は東寺(京都市)の荘園であったが,地頭との間に紛争が絶えなかった乾元2年正月18日に東寺と地頭との間で,鎌倉幕府の裁定のもとに3分の2を領家方,3分の1を地頭方とする和与状が交わされたこの際に作成されたと推定される弓削島【ゆげしま】荘領家・地頭相分絵図(東寺百合文書と/日本塩業大系古代中世1)中には,弓削島の中央部に「大串方 地頭方三分一可被相博鯨方事」と記されている大串方の耕地内容については,応長元年七月日に地頭代によって作成された弓削島荘田畠・山林・塩浜以下相分帳(同前)の畑地分の中に「日助 一反四十歩付東 同(塩)穴二二分藤宮 一反三百歩付東 同(塩)穴四」などと見えるこのことから大串に塩浜が存在したことが知られる大串の地は,現在の弓削町のうち明神付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431148
最終更新日:2009-03-01




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