ケータイ辞書JLogosロゴ 大島浦(近世)


愛媛県>新居浜市

 江戸期〜明治22年の村名。新居郡井上郷のうち。西条藩領。沢津組に属す。村高は黒島とともに,「慶安郷村数帳」では253石余,うち田6石余・畑123石余・不足分123石余,「元禄村浦記」437石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに438石余。寛文年間の「西海巡見志」によれば,黒島を除く村高350石余,家数154軒,船数65,うち300から200石積17・漁船48,加子数123うち役加子43。寛文10年の「大島浦庄屋(黒島を含む)から宇高組大庄屋への書上げ」(村上文書)では,黒島とともに,回船(8〜18端帆)28・渡海船(4〜5端帆)9・猟船(3端帆)120,櫓手取人口・総人口375(18〜60歳),うち109人は,大島・黒島から他国へ回航すると記され,両島が海運と漁業を営む島であることが知られる。当島は,前面に好漁場をひかえ,毎年3〜5月間,紀伊・播磨・安芸・周防など諸国から漁船が来島して島の漁民とともに鰆のしばり網,鯛のごち網などを行い,また生船で大坂へ生魚を販売するなど漁業が盛んであった。天保13年頃の「西条誌」によれば,村の広さは東西13町余・南北12町余。家数194軒・人口732,船数23。加子役は西条全領の半分近い58軒分を負担していた。寺社に大島八幡宮・吉祥寺・願行寺がある。明治6年愛媛県に所属。「新居郡地誌」によれば,明治5年黒島を分村。地味は,「田其土赤ニシテ埴シ其質美ナリ,稲麦ニ宜シ年ニヨリ旱損ノ患アリ,畑其土赤ニシテ埴シ其質美ナリ麦作並蕃薯其他樹芸ニ宜シ」とある。田3反余・畑64町余・宅地4町余・山林75町余。戸数223,うち農業116・漁業55・航海業8,人口男323・女509。船数は,日本型船200から50石積商船2・50石未満商船7・艀船8・漁船74・伝馬船1,計92。明治8年創立の潤身学校は築町にあり,教員2,生徒数男45・女28。戸長役場は中町にあった。村社は大島八幡神社,寺は吉祥寺・願行寺。物産は生魚8,000貫・薪4万貫。同22年市制町村制施行後も1村として存続。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431164
最終更新日:2009-03-01




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