ケータイ辞書JLogosロゴ 大生院村(近世)


愛媛県>西条市

 江戸期〜明治22年の村名。新居郡のうち。島山郷に所属。小松藩領。村高は「慶安郷村数帳」では399石余,うち田60石余・畑338石余,「元禄村浦記」399石,「天保郷帳」523石余,「旧高旧領」944石余。慶長19年7月1日に「福武村分往生院」と見え(高橋文書),福武村分であったことが知られる。市之川・白目・保野・丸野・津越(一柳氏入国後できた新開)の5字を含む高25石の大浜村は,大生院の枝村で,古来より開発がすすみ,名請人であった肝煎曽我部陸之助は,大浜村の全農民を作り子として自ら支配した。寛永2年,松山藩足立半右衛門の花押のある「新居郡往生院内大浜村定土免之事」には,米1石2斗余・大豆1石5斗余・小豆9斗・粟2石5斗・稗4石3斗余・大麦2斗で升数合10石7斗が年貢として徴収されていることが知られる(高橋文書)。字早川分も,肝煎神野氏が地内の全農民を作り子として,曽我部氏同様支配を続けていた(小松邑誌上編)。「続日本紀」に文武天皇2年伊予国から白鉱を献じたとあるが,古来伊予国内に鉱を産出するのは,市之川周辺に限られていることから,当地生産のものが献上されたと推定される。白の鉱山は,延宝7年市之川で再開発され,宝暦7年から新居郡金子村(現新居浜市)の伝右衛門の請負いで採掘されていたが,天保12年小松藩直営稼行となった。その後文久元年から大坂屋源八が請負で採鉱することとなり,経営は明治4年廃藩後石鉄県に引き継がれた。同県は曽我部陸之助・同包助に処理させ,同7年さらに2人を加えて4人の共同組合事業となった。明治17年愛媛県直轄とし,事業を藤田組に委託した。神社には大三輪大明神・山城明神・貴船明神・立岡明神・八幡宮・天来風伯明神。寺には正法寺,仏宇7堂。明治6年愛媛県に所属。「新居郡地誌」によれば,村の広さは東西2里20町・南北2里28町。地味は「田其土薄黒ニシテ壚シ砂礫ヲ混ス其質悪シ,稲麦ニ宜カラス年ニヨリ旱損ノ患アリ,畑其土薄黒ニシテ壚シ砂礫ヲ混ス其質悪シ,麦作ニ宜カラス蕃藷ニ宜シ其他樹芸ニ宜カラス年ニヨリ旱損ノ患アリ」とある。田70町余・畑155町余・宅地24町余・山林1,422町余,戸数538,うち農業514,人口男1,224・女1,175,牛82・馬69。国道は東萩生村境から西飯岡村境まで延長8町・幅2間。村社に三太神社・保野神社・風伯神社・大三輪神社,寺に正法寺がある。戸長役場は当村にある。明治10年創立の弘育学校は銀杏木にあり,教員1,生徒数男20・女15。古跡に戦国期の大浜・高橋両城跡がある。物産は市之川鉱山で産出する白2,160万斤・楮皮1,400貫。明治18年市之川小学校開校。同22年市制町村制施行後も1村として存続。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431169
最終更新日:2009-03-01




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