ケータイ辞書JLogosロゴ 沖村(近世)


愛媛県>吉田町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。吉田藩領。村高は天正検地では454石余,以後郷帳類には見えず。なお「旧高旧領」では494石余。安政6年喜佐方村から分村。沖村の内として吉田新田分は70石。下喜佐方村とも称し,喜佐方村の枝村として喜佐方村庄屋支配であった。寺院は禅宗円通寺・同安楽寺・真宗大楽寺。村内を流れる河内川について「喜佐方村誌」には洪水のたびに堤防を破り田畑を荒したので,吉田川まで延長することを藩に申請したが藩は田地の減少,陣屋の堀に砂が堆積するのを恐れて許可しなかった。しかし安政2年川を沖と河内の両村に分流させること,年々夫役を徴して川尻の砂を除くことを条件にようやく許可を得たが,その後も大雨ごとに氾濫して沖・河内両村の農民を苦しめた(吉田町誌)。明治6年愛媛県に属し,同11年北宇和郡に所属,明治22年喜佐方村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431261
最終更新日:2009-03-01




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