ケータイ辞書JLogosロゴ 太田(中世)


愛媛県>小田町

 室町期から見える地名。浮穴【うけな】郡のうち。永享4年6月27日の大野弥治郎宛明正譲状に「太田之内本郷久万……此内中川」とあるのが初見(大洲随筆)。「中川」が,現小田町中川に比定されるとすると,太田は小田と同一と考えられる。永禄10年以前と推定される河野家年寄連署状(東京都大野文書)に「番替来月四日至太田表可差越」とあり,当地の名は戦国期にも見える。天正12年と推定される8月18日の滝本寺栄音(長宗我部元親の重臣)書状(金子文書/大日料11‐8)に「元親を始,小田表,三間口,郡内迄可被打出覚悟にて候」とあり,この頃すでに太田が「小田」と書き記されるに至っている。なお確実な史料ではないが正平23年,仁木義尹が宇和・喜多両郡へ進発した際,「大田合戦」が行われたというが(築山本河野家譜/編年史3,「予章記」「予陽河野家譜」は「大田陣」とする),それを浮穴郡の「太田」とすると,南北朝期にまでさかのぼり得る。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431277
最終更新日:2009-03-01




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