音地村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。吉田藩領。告盛組に属す。はじめ告森村のうちであったが,明暦3年に宇和島藩領から吉田藩領に編入された時に分村して成立したと推定される。しかし郷帳類は「天保郷帳」まで告森村のうちに含めて記載。村高は,「旧高旧領」では272石余。「郡鑑」によれば,明暦4年の給人知行分は岩口了沢150石・今橋猪兵衛100石余・安藤七兵衛100石。寛文10年の物産は茶・麻苧・真綿・漆・楮など。明治6年愛媛県に所属。同11年北宇和郡に属し,同22年二名【ふたな】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431306
最終更新日:2009-03-01