ケータイ辞書JLogosロゴ 上灘村(近世)


愛媛県>双海町

 江戸期〜明治22年の村名。浮穴【うけな】郡のうち。大洲【おおず】藩領。湯並郷に所属。村高は「慶安郷村数帳」では667石余,うち田379石余,畑287石余,「元禄村浦記」667石余,「天保郷帳」707石余,「旧高旧領」1,012石余。伊予郡灘町(のちの郡中)の開祖となった宮内九右衛門・清兵衛兄弟はこの上灘の出身で,寛永13年,その功により藩主加藤泰興から出身地にちなみ灘屋の家名を許されている(積塵邦語/編年史7)。寛文年間の「西海巡見志」では家数59軒,舟19艘,うち9は45〜100石積の荷船で,加子数54,うち役加子12。「大洲秘録」では元文4年頃の村の物産品は米・大豆・蕎麦・笘・串海鼠で,名物は「ひび野より出る柱石,大江より出る角石や盆石」であった。氏神は高岸村の三島大明神,村内に三島社・天一神社・稲荷社がある。寺院は正光寺・本覚寺・地蔵寺。明治5年園礒学校を開校。同6年愛媛県に所属。同7年翠小学校を開校。「浮穴郡地誌」によれば,村の広さは東西2里・南北1里,田土は膏膄,戸数751・人口2,820,商船14・漁船77・荷車150・牛85・馬69。同11年下浮穴郡に所属。同22年上灘村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431440
最終更新日:2009-03-01




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