ケータイ辞書JLogosロゴ 上山村(近世)


愛媛県>新宮村

 江戸期〜明治22年の村名。宇摩【うま】郡のうち。はじめ幕府領で松山藩預り地,寛永13年川之江一柳氏領,同20年幕府領で松山藩預り地,元禄11年からは今治【いまばり】藩領。村高は「慶安郷村数帳」では405石余,うち田141石余・畑264石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに405石余。寛政9年の村明細帳によれば家数369軒・人口1,442,田18町余・畑44町7反余,牛212。同7年には当村の百姓等が隣村の阿波国山城谷(徳島県山城町)に逃散している(徳島県三好郡志)。その反面,天保12年には今度は山城谷の百姓631人が当村に逃散し,当村の安楽寺住職や半田【はんだ】村(川之江市)の庄屋矢野紋重郎らが中心となって今治藩主から徳島藩主にとりなしを依頼して解決している。神社は稲茎四社大明神ほか多数,寺院は真言宗安楽寺。明治6年愛媛県に所属。「宇摩郡地誌」によれば,村の広さは東西1里20町・南北未詳,戸数469・人口2,065,牛136・馬1,物産は煙草・漆・棕櫚皮・楮皮。明治22年市制町村制施行後も1村として存続。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431466
最終更新日:2009-03-01




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