ケータイ辞書JLogosロゴ 川津南村(近世)


愛媛県>城川町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。宇和島藩領。山奥組周智郷に所属。村高は天正検地では325石,「慶安郷村数帳」では325石余,うち田261石余・畑63石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに764石余,「旧高旧領」305石余,「大成郡録」では家数85軒・人口529,牛9・馬10,鉄砲11丁,神社は若一王大権現・白王権現・天神,寺院は禅宗西方寺。「墅截」では「村柄は中ノ上,水掛は吉」とあり,百姓数65,うち本百姓29・半百姓33・四半百姓2・庄屋1,物産は薪・鍛冶炭・真綿・麻苧・漆・茶・楮・紙・畳蒋など。「宇和旧記」に,「河津南に主慶とて刀鍛冶あり,此先祖安行と銘を切,其次主慶安定と切云々」とあり,また同書に,「竹の森城とて古城あり,城主は北の川殿一家の由に候得共,名も名字も不知」と記している。寛政8年,組頭総左衛門と争論し,郷目付役が出張のうえ調査中,村内の農民は城下へ出訴を試み,光満【みつま】村(現宇和島市大字光満)まで行き,説得され引き返した。頭取4人が入牢,組頭総左衛門は免職となる(南予の百姓一揆)。明治6年愛媛県に所属。同11年東宇和郡に属し,同22年高川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431514
最終更新日:2009-03-01




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