ケータイ辞書JLogosロゴ 川永田浦(近世)


愛媛県>伊方町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。伊方浦の枝浦であった。宇和島藩領。はじめ保内【ほない】郷,ついで保内組に所属。「墅截」には「村柄は中,田方中,畑方中ノ下,水掛は吉」とある。寛文年間の「西海巡見志」によれば「佐瀬部之湊内」と見え,高80石余,家数37軒,舟数78,うち60石積1・80石積1・猟舟76,加子数408,うち役加子62。「大成郡録」では田5町9反余・畑34町3反余。当地は藩主の江戸参勤交代の際の中継地の1つで,当浦の役水主が佐田岬を回って伊予灘側の三机【みつくえ】浦との間の御座船の回漕にあたった。明治6年愛媛県に所属。同11年西宇和郡に属し,同22年伊方村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431519
最終更新日:2009-03-01




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