ケータイ辞書JLogosロゴ 串浦(近世)


愛媛県>三崎町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。三崎浦の枝浦であった。宇和島藩領。保内郷,保内組に属す。江戸初期東隣の三崎浦からの入植により1浦を形成(三崎村郷土誌)。「墅截」では「村柄は中,田方中,畑方中ノ上,水掛は吉」とあり,小物成は鮑500盃。寛文年間の「西海巡見志」によれば高14石余,家数20軒。「大成郡録」では田5反余・畑7町9反,物成10石9斗。安政元年の大地震の際,三崎浦の伝宗寺から檀家へ配られた護符の数により推定される家数100軒(伝宗寺記録)。幕末の組頭は植田氏(三崎村郷土誌)。明治4年頃正野【しようの】浦が分離。同6年愛媛県に所属。同8年串小学校開校。同11年西宇和郡に属し,同22年三崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7431724
最終更新日:2009-03-01




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