ケータイ辞書JLogosロゴ 下弓削(近代)


愛媛県>弓削町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ弓削村,昭和28年からは弓削町の現行大字。地内に弓削村役場が置かれ,昭和28年からは弓削町役場所在地。大正4年の戸数568・人口2,793(越智郡々勢誌)。昭和5年の戸数540。明治中期以降海外発展が著しく,船員村・移民村として知られ,明治34年には高等小学校とともに商船学校を設立。石灰石の生産が続けられ,同43年には作業場5と窯24を持ち,生産高258万貫・従業員180人となり,主産業に発展した。昭和28年弓削港に桟橋を設置し,運輸省指定港となった。同39年下弓削〜久司浦【くじうら】間のバス運行開始。同45年浄水場が完成して完全給水となった。同年国民宿舎ゆげロッジ,同46年久司山展望台が完成。同49年一部が大字明神・引野・藤谷となり,翌50年一部が大字日比【ひび】・豊島・鎌田・土生・太田となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432193
最終更新日:2009-03-01




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