ケータイ辞書JLogosロゴ 周木浦(近世)


愛媛県>三瓶町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。はじめ宇和島藩領,明暦3年からは吉田藩領。村高は「慶安郷村数帳」では126石余,うち田91石余・畑35石余。「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに126石余,「旧高旧領」121石余。寛文年間の「西海巡見志」では「御高札有,湊,何風にもよし,百石以上の船十艘懸」と見え,家数18軒,舟数漁舟7,水主数15,うち役水主6。主産業は鰯漁であった。また同書に「周木浦湊口ニ島二つ有」と記された島の1つコテイ島(通称コッテ島)は,幕末陸地との間約50mが埋め立てられて陸繋島となり,北波を防ぐ防波堤となった(三瓶郷土史稿)。庄屋は代々三好家(同前)。神社は神谷神社で創建は文明15年,ほかに住吉神社があり,同社は「吉田古記」には住吉大明神,願主上甲勝兵衛尉とあり,創建は延宝年間以前にさかのぼる。寺院は臨済宗妙心寺派聖福山(「吉田古記」では大竜山)光勝寺で,開基は延文年間以前(開山の絶岩禅師示寂の碑)。同寺の「宗門改帖」によると文久3年の人口921(二木生村誌)。明治6年愛媛県に所属。同7年行本小学校開校。同11年西宇和郡に属し,同22年二木生【にきぶ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432194
最終更新日:2009-03-01




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