ケータイ辞書JLogosロゴ 菅生(中世)


愛媛県>久万町

 鎌倉期から見える地名。浮穴【うけな】郡のうち。「一遍聖絵」によると,文永10年7月,時宗の開祖一遍上人は,当地の岩屋に参籠している。当地は,有名な観音影現の霊地,空海練行の古跡であったという。「一遍聖絵」の引用する菅生寺(菅生山大宝寺)の開基縁起譚によると,安芸国(広島県)の住人がこの霊地で狩猟中,観音示現の古木を発見し,身につけていた菅蓑で草舎をつくり,それを安置したことにちなんで菅生寺と号したという。菅生寺の名は,鎌倉期から南北朝期の史料に見える。建長7年10月の「伊予国神社仏閣等免田注記」(伊予国分寺文書/編年史2)に「菅生寺五反」と見え,また建武3年4月の細川顕氏・和氏奉書(「後鑑」所収予州松山旧記/編年史3)によると,菅生寺衆徒は,祈祷および勲功の賞として足利尊氏から檀生郷(温泉郡埴生郷か)西方地頭職内の地を宛行われている。当地は,室町期にも「義経記」に「伊予の菅生に出て」という記載があるとおり,修行地として全国にその名を知られた。室町期から戦国期にかけて,大除【おおよけ】城主大野氏の庇護のもとに発展を遂げた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432305
最終更新日:2009-03-01




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