- JLogos検索辞書>
- 洲崎町(近世)とは
「洲崎町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 洲崎町(近世) 江戸期~明治7年の町名小浜町の1町須崎町・洲先町とも書き,淵崎町とも称した川崎町・北本町・塩屋町と接し,北西は海浜寛永17年の夫代銀では中町に位置付けられ,坪あたり1分7厘5毛とされている(江口夫右衛門覚書)また,嘉永元年の願文証文并諸事控には区分が東・中・西に変わるが,ここでは東に格付けされている京極氏とともに若狭へ移って来た4代目刀工藤原冬広は当町に居を構え,京極氏移封の後も若狭に残って作刀を続けた(一二家文書)寛文11年6月藩主の前で,川崎町とともに十五番木賊として祇園会の練物を出しているまた,延宝7年にも二十四番として川崎町と木賊の山車を出している(拾椎雑話)安政5年8月29日川崎町から出火した火事は当町や松本町にも及び,1,800余戸を焼失した(同前)明治6年の戸数75同7年多賀町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」