ケータイ辞書JLogosロゴ 立間尻浦(近世)


愛媛県>吉田町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。はじめ宇和島藩領,明暦3年からは吉田藩領。立間郷に所属。村高は天正検地では137石余,「慶安郷村数帳」では137石余,うち田117石余・畑20石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに262石余,「旧高旧領」78石余。「吉田古記」によれば,宇和島藩領の慶安3年からこの地の開発は着手されていたが,支藩創設後の万治2年からは絶えず続けられ,家中屋敷がつくられ,船手役所を設置。農家および庄屋があって,庄屋は吉田港対岸の鶴間・深泥・浅川の3か浦を支配した。「郡鑑」によれば承応元年の家数50,うち水主16人,人口168,役苫99帖,物産は茶・麻苧・漆・楮・真綿など。寛文6年の「網安代之覚」には網4帖・網代10か所・網船8・小船5。寛文年間の「西海巡見志」では「舟番所あり,湊あり,南風悪」とあり,家数15軒。神社は峰住社,寺院は禅宗海蔵寺,浄土宗一乗寺,同大信寺(延宝9年吉田領寺社古記並古城跡之覚書)。大信寺は伊達家の菩提寺。天明7年の「三高帳」に,家数49,うち庄屋1・百姓27・無縁21,人口303,鉄砲1,牛8,鰺網1・網2・網船4・手船8,鰯浜1。枝浦に苫ケ浜浦があった。明治6年愛媛県に属し,同11年北宇和郡に所属。明治22年立間尻村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432488
最終更新日:2009-03-01




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