ケータイ辞書JLogosロゴ 田浦村(近世)


愛媛県>吉海町

 江戸期〜明治22年の村名。越智【おち】郡のうち。今治【いまばり】藩領。村高は「慶安郷村数帳」では35石,うち田24石余・畑10石余,「元禄村浦記」35石,「天保郷帳」57石余,「旧高旧領」59石余。寛永13年の「検地帳」では田2町余,屋敷6畝余,畑1町余,山畑1町余,荒畑1反余で合計5町余。慶安元年の「新高畝村人数帳」では人口47。貞享元年の「今治藩領改帳」では新田1反3畝があり,家数24・人口98。水害や山崩れが多く,地味も悪く農業には不向きの地であったため,杜氏【とうじ】や塩田工としての出稼ぎや採石の手伝いなどで生計を立てていた。元禄3〜16年,天明6年頃に新田が開発されて,寛政4年の「島方村村改高戸数」では新田約3町,戸数54戸。安政6年にはついに重税に苦しむ村人50人が村出して波止浜(今治市)に上陸,今治藩の宗藩である松山城下へ嘆願に向かったが,長野村(丹原町か)で阻止された(愛媛県農業史)。庄屋は砂田家。神社は林八幡宮,ほかに荒神・山神など小祠がある。寺院はなく福田村の福蔵寺の檀家。明治6年愛媛県に所属。「越智郡地誌」によれば,戸数90・人口431,牛34,商船13,造船場があった。明治12年の「地価一筆限帳」では田11町余・畑29町余,雑木山40町余・草山8町余。同22年大山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432523
最終更新日:2009-03-01




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