ケータイ辞書JLogosロゴ 田部浦(近世)


愛媛県>瀬戸町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。三崎浦(三崎町)の枝浦であった。宇和島藩領。はじめ保内【ほない】郷,次いで保内組に所属。「墅截」では「村柄は上,田上,畑中ノ下,水掛りは吉」と見え,田3町余・畑27町1反,小物成として串鮑125盃。寛文年間の「西海巡見志」によれば,高60石,家数30軒,漁船4,水主15人,うち8人役水主,「大成郡録」では田3町余・畑27町1反。東部の高茂【こうも】地区は「三机組小島之内高茂田畑分田部浦ヘ作ル」と見え(同前),以後田部浦の枝浦となる。幕末の組頭は三好氏。氏神は客神社で享保年間の創建(県神社誌)。明治6年愛媛県に所属。同7年田部小学校開校。同11年西宇和郡に所属。同22年四ツ浜村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432537
最終更新日:2009-03-01




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