ケータイ辞書JLogosロゴ 津島村(近世)


愛媛県>吉海町

 江戸期〜明治22年の村名。越智【おち】郡のうち。今治【いまばり】藩領。村高は「慶安郷村数帳」では140石余,うち田13石余・畑126石余,「元禄村浦記」140石余,「天保郷帳」147石余,「旧高旧領」103石余。椋名【むくな】村から福永氏,瀬戸村(上浦町)から藤沢氏,仁江【にえ】村から村上氏と次々に入植し,その後移住者が山林,荒地を開拓し高90石となった折,1村として立村した。また30石を領して彦右衛門が庄屋となり,田尾に屋敷を構え,邸内に4間四方の阿弥陀堂を建設した(津島記録)。寛永13年の「検地帳」では田は上〜中田3反,下〜下々田1町余・畑1町余,ほかは山畑28町余。貞享元年の「今治藩領改帳」では田1町余・畑10町余,家数31軒・人口105,庄屋は孫右衛門。寛政4年の「島方村村改高戸数」では戸数65。耕地は「津島記録」では明治9年で田5町余・畑42町余と増加。庄屋は村上家が代々継いだが,文政の頃伝七が村民と争って切腹,兄貞治の子も早世したため,その後庄屋は椋名【むくな】などの兼帯となった。安政2年大地震が起こり,当村の全村民は海岸の仮小屋で数日を暮らした(津島記録)。翌3年8戸焼失,100日余の旱魃に見舞われた(同前)。島は耕地に乏しく,漁業もないので,舟乗りとしての他村への出稼ぎや,海運業が盛んである。神社は大山祇神社,同社には神吉丸・栄徳丸など天保8年奉納の5隻の大型帆船の航海安全の絵馬がある。明治4年の戸数104・人口462(畝高人員戸数取調帳),同6年愛媛県に所属。同17年暴風雨と高潮により学校と民家12戸破壊,伝馬船37隻流出(津島記録)。同20年村民の養生のために石風呂を建設した(同前)。同22年亀山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432597
最終更新日:2009-03-01




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