ケータイ辞書JLogosロゴ 寺村(近世)


愛媛県>小田町

 江戸期〜明治22年の村名。浮穴【うけな】郡のうち。大洲【おおず】藩領。村高は「慶安郷村数帳」では478石余,うち田262石余・畑216石余,「元禄村浦記」478石余,「天保郷帳」487石余,「旧高旧領」424石余。神社は新田森五座社・天満宮・田上社など。寺院は清盛寺で,口碑に平清盛の五女登喜姫が当地に逃れ住んだと伝え,寺名も従来の清城寺から清盛寺と改めたという。「伊予温故録」に「五輪塔一基在り昔より清盛公の姫君を此所に葬り清盛寺と文字を改めしとかや……讃州八島崩の時平家の人々忍ひ来つて蟄居したるもの歟,此墓印に称尊院殿楠薫大童女,大治二年丙午六月十六日とあり」とある。寺に現存する古い位牌には「称尊院殿梅薫大童女」裏に「文治二丙午年六月十六日」とあり,「温故録」は誤記である。庄屋の栗田家は南山村の庄屋をも兼ねた。寛延3年の内ノ子騒動は小田郷の農民蜂起の回状が当村の清兵衛の所に来たのを見つけた庄屋栗田吉右衛門が,清兵衛を捕えて糾明したことに端を発している。明治6年愛媛県に所属。「浮穴郡地誌」によれば,村の広さは東西1里・南北1里,戸数207,うち農業170・酒造1・牛馬商1・僧侶1,田18町余・畑47町余,神社は新田社,寺院は清盛寺・慶昌寺,牛51・馬33,物産は米・麦のほか大豆・小豆・蜀黍・豌豆・蚕豆・大根・蕪菁・雑蔬・牛房・胡蘿蔔・瓜・茄子・果実・麻・茶・芋・甘薯・紙・蝋・櫨・楮など。明治11年上浮穴郡に属し,同22年小田町村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432650
最終更新日:2009-03-01




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