ケータイ辞書JLogosロゴ 長坂村(近世)


愛媛県>菊間町

 江戸期〜明治22年の村名。野間郡のうち。松山藩領。村高は,「慶安郷村数帳」532石余,うち田275石余・畑256石余,「元禄村浦記」532石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに533石余。「野間郡手鑑」によれば,元文年間の免6.7,田32町余・畑43町余,新田畑1反余,家数73軒,うち本門52軒・無給門21軒,人口423,牛馬119。嘉永3年の家数92軒・人口483。小物成は御上苧2貫目・御林運上銀950匁・入木銀221匁・山札銀128匁など。寛永12年清道が庄屋を拝命,以後田窪家が勤めた。文政9年9代目庄屋亀右衛門と村民の間におも高山と籔床の所有をめぐって紛争が起きた(長坂騒動)。遠因は庄屋の複雑な相続関係や年貢の強制徴収にあり,組頭らが百姓側につき庄屋は孤立し,同12年松山藩の郡代官に解決を委託。郡代官や大庄屋の説得により紛争は解決した。詳細は不明だが「加茂神社社記」に天明8年,代官の定めと意見が合わなかったため浜・高田・池原村とともに西条・小松藩領に逃散したと見える。文政2年郡役によりみどろ池を築造。神社は長津神社,同社は天保6年に改築。寺院は天文12年の建立と伝える新義真言宗豊山派長法寺。同寺は寛文7年および文化年間に改築。明治6年愛媛県に所属。「野間郡地誌」によれば戸数97・人口580。明治3年頃から渡部政六らにより黒住教が普及,同22年教会開設。明治14年の山林13町余。同22年菊間村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432795
最終更新日:2009-03-01




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