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- 長浜町(近世)とは
「長浜町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 長浜町(近世) 江戸期~明治5年の町名江戸期は大坂三郷北組のうちもと七郎右衛門町の一部(初発言上候帳面写/大阪市史5),江戸中期には町名が見えるなお椹木【さわらぎ】町は当町域から分かれたという(同前)町名は,西横堀の浜に位置することによるかと思われる元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば家数23軒,役数33,うち無役数2(年寄・会所),年寄は炭屋宗得「西よこほり東浜側の丁,相生ばし東詰少し南より,南ハ新江達ばし北迄」を町域とし(宝暦町鑑),大坂随一の材木商集住地であった西横堀二十四浜の一角をなしていた天明年間には御用商人廻船年寄の富田屋吉兵衛・同吉左衛門が当町に住した(大阪商業史資料/浪速叢書9)明治2年大阪東大組に所属同5年横堀1~6丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 長浜町(近世) 江戸期の町名福井城下のうち城橋町組の1町城下南部に位置する江戸初期には百間堀南沿いの町人町が城之橋本町と呼ばれていたが,やがて長浜町と見えるようになり,のちには町域も拡大して城橋泉町・城橋上町・城橋下町・城橋横町などと記されるようになるというなお「名蹟考」所載の文化年間の「福井町辻子帳」には,城橋町組のうちに,上記の泉町・上町・下町・横町と並んで長浜町が見えるが,未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」