ケータイ辞書JLogosロゴ 魚神山浦(近世)


愛媛県>内海村

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。内海浦の枝浦。宇和島藩領。御荘【みしよう】組・松之荘に所属。村高は郷帳類では内海浦に含まれ不明。寛文年間の「西海巡見志」には見えず。庄屋は内海浦の実藤家が兼務。「大成郡録」によれば伊達氏入封以前からの元網1帖があり,のちには鰯網・䰽網が各1帖ずつあったという。一時浦は衰退したが,寛文10年頃に流人によって再開発され,「墅截」では家数は11軒。文化年間,当浦の人儀左衛門が網代に新浦を開発している。組頭役は三浦家。陸路はなく,船で家串方面と結ばれていた。明治6年愛媛県に属し,同11年南宇和郡に所属。同22年内海村大字内海の字名となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432890
最終更新日:2009-03-01




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