ケータイ辞書JLogosロゴ 中山村(近世)


愛媛県>中山町

 江戸期〜明治22年の村名。喜多郡のうち。大洲【おおず】藩領。村高は「慶安郷村数帳」では1,206石余,うち田648石余・畑557石余,「元禄村浦記」1,206石余,「天保郷帳」1,224石余,「旧高旧領」1,174石余。元文5年の「大洲秘録」によれば,物産は米・大豆・紙で,名物は椀とある。大洲城下から郡中へ通じる大洲道の馬継場にあたり,出淵【いずぶち】村とともに馬・人足を出す定めであった。中心地は泉町と呼ばれており,屋敷20軒・坪数925坪余の地を御免地とし,在町として取り立てられた。日用品の調達が行われ,同町では類・鏡立櫛台・差下駄・塗下駄・革緒などの身分不相応品の取引きは禁じられていた。寛政元年4月の幕府巡見使日程に休憩地として当村名があげられている(伊予郡南神崎村庄屋記録/編年史8)。寛政10年6月伝馬駄賃が改められ,当村より内子村へは「三里七丁 駄百三十四文 人六十六文」,御替地へは「三里半七丁 駄百五十七文 人七拾七文」,上灘村へ「弐里半三丁 駄百拾六文 人五拾九文」となる(登志奈美草/編年史8)。神社は氏神の梅原三島宮(現森三島神社)で,同社には応永9年閏8月20日銘のある鳥居がある。寺院は曹洞宗大興寺・梅原寺,浄土宗浄光寺。明治6年愛媛県に所属。同22年市制町村制施行後も1村として存続。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432917
最終更新日:2009-03-01




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