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- 夏目村(近世)とは
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夏目村(近世) 江戸期~明治8年の村名三河国設楽【したら】郡のうち豊川支流重広川流域慶長5年からは旗本設楽氏知行村高は,「寛永高附」45石余,「元禄郷帳」44石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに67石余明治3年の村高67石余,うち田18石余・1町余,畑49石余・4町余,小物成は大豆・小豆・荏二ノ宮天満宮がある戦国期来迎松城を守った夏目信久・清宗が字富高利に拠り,墓地もあったという「三河国二葉松」には当村古屋敷宗清惣兵衛と見える夏目氏は設楽氏の一族であったが,当村を本貫地としたことにちなみ夏目氏を称したともいう明治8年富永村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」