ケータイ辞書JLogosロゴ 奈良野村(近世)


愛媛県>五十崎町

江戸期〜明治初年の村名喜多郡五十崎【いかざき】郷のうち大洲【おおず】藩領小田筋の村五十崎盆地南部,小田川と同川支流御祓【みそぎ】川の合流点に位置する村高は「慶安郷村数帳」では58石余,うち田28石余・畑29石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに58石余,「旧高旧領」51石余江戸初期には当村の枝村に弦巻【つるまき】村があった(大洲旧記)宝暦12年の「紙御役所御仕法旧記」では小間紙漉き6人・楮仲買1人明治6年愛媛県に所属「喜多郡地誌」によれば,村の広さは東西10町・南北16町20間,戸数27・人口121,うち農業22・工3,小田川の水運に川舟4,牛13・馬1,田2町余・畑6町・山6町余,神社は一宮神社・天神社・竜王社,明治7年頃弦巻村と合併して福岡村となる現在の五十崎町大字福岡のあたり
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7432950
最終更新日:2009-03-01




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