ケータイ辞書JLogosロゴ 野田村(近世)


愛媛県>重信町

江戸期の村名浮穴【うけな】郡のうち松山藩領重信【しげのぶ】川の右岸に位置する村高は「慶安郷村数帳」では1,239石余,うち田1,121石余・畑118石余,「元禄村浦記」1,239石余,「天保郷帳」1,262石余重信川の氾濫原を開拓した地で,新開地は出作【でさく】・新村【しんむら】と呼ばれている享保2年に南野田・北野田の2か村に分かれ,「野田村南分」「野田村北分」と見えるが(北濃田村大手鑑),「天保郷帳」では一村として扱い,「旧高旧領」で野田村南分・野田村北分と分記している神社は三島神社で,享保17年の飢饉以後,牛淵村の浮島神社との間で御面渡御祭を始めた(重信町誌)寺院は新義真言宗西光寺現在の重信町北野田・南野田の地
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7433071
最終更新日:2009-03-01




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