ケータイ辞書JLogosロゴ 比季野(中世)


愛媛県>弓削町

 鎌倉期から見える地名。越智【おち】郡のうち。弓削島【ゆげしま】荘文治五年作畠検注取帳(東寺百合文書よ/日本塩業大系古代中世1)を見ると,当荘の名は散在しているが,そのうち公田方の名である末延・光助名,名田方の末久名には「ヒキノ」に一筆ずつの畠地が散在する。弓削島荘は正和2年に地頭方と領家方(東寺)それぞれ3分の2と3分の1に中分されるが,それに先立った応長元年7月に田畠・山林・塩浜以下相分帳が作成された。これによると,田地分に「比季野 末延 四十歩付東 同行成 小四十歩付西 同光助 三百歩付北 友貞ヒキノ 八十歩付西」,畑地分として「末延 一反四十歩付東 比季野 山三分一付南 ヒキノ 同(塩)穴三」など,除田2反40歩のうち「客宮 四十歩 ヒキノ」が記される。さらに正和2年4月に作成された弓削島荘公田方田畠塩以下済物等注文(東寺百合文書と/日本塩業大系古代中世1)には,田地所当米事のうちに「一所小,末延,比季野,四斗代,一所,一反半,光助,比季野,四斗代」「一所,大,友貞,比季野,四斗代」とある。また「一,比季野浜分大俵塩八俵」ともある。比季野には田地が存在し,さらに海浜部分は塩浜となっていたことがわかる。この比季野浜は正嘉3年2月22日の弓削島荘領家・地頭和与状(同前)に「比季野浜事,可為進止領家也」とある。しかし永仁4年5月18日の関東下知状によると,地頭がそれを押領したという。当地が領家・地頭間の係争地となっている(東寺百合文書ま/日本塩業大系古代中世1)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7433215
最終更新日:2009-03-01




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