ケータイ辞書JLogosロゴ 平山浦(近世)


愛媛県>御荘町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。宇和島藩領。御荘組・松之荘に所属。村高は天正検地では63石余,「慶安郷村数帳」では63石余,うち田49石余・畑14石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに100石余。寛文年間の「西海巡見志」では左東風浦と見え,「湊有,東風南少し悪し,百石以上の船五十艘懸」とあり,家数20軒,高札場があった。船・加子は内海浦の枝浦の家串浦に含まれて記載。「墅截」では「所柄は下,水掛りは吉」とあり,百姓数19人,うち本百姓10・四半百姓8,庄屋は内海浦の実藤家が兼務した。「大成郡録」では「内海内 平山浦」とあり,田8町7反余・畑3町7反余,小物成は真綿・漆・漆実・麻苧など。家数27軒・人口204。神社は天神社と竜王社。寺院は浄土宗海立山延命寺。弘化3年の「御荘組四色小物成九色小役其外共割附牒」には高136石余,家数48軒。明治6年愛媛県に属し,同11年南宇和郡に所属。同22年内海村大字内海の字名となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7433291
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ