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- 堀江(中世)とは
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堀江(中世) 鎌倉期から見える地名伊勢国河曲【かわわ】郡のうち「吾妻鏡」文治3年4月29日条,公卿勅使駅家雑事勤否注進状(鎌遺224)に見える堀殖永恒・堀殖加納は当地域内の地であろう永享2年の「御前落居記録」に,北野宮祠官権律師明兼が,長太【なご】・石津・加納とともに当地下をめぐって,聖護院雑掌・北野社永琳院と相論を起こしている彼の主張によると,当地は永和・嘉慶年中に聖護院門跡領中の不知行地を寄進され,「粉骨」努力して知行を実現した北野社領であるが,門跡雑掌と永琳院は共謀して,永琳院が門跡御師職に補任された際,半分を寄進された,あるいは明兼先師明什の不義により没収されたと称して押領をたくらんだという将軍義教は明兼を支持し,安堵しているその後,康正元年松梅院禅予は社家奉行松田丹後守秀興に当知行安堵の申請をしており(北野社家引付3),寛正5年には,義教より段銭・臨時課役免除,守護使不入の特権を賦与されている(同前)享禄4年12月の北野宮寺宝成院領目録中にもその名が見える(北野神社文書1)のち,南堀江・北堀江に分かれた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
堀江(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
堀江(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」