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- 湊町(近世)とは
「湊町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 湊町(近世) 江戸期~明治22年の町名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 湊町(近世) 江戸期~明治5年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 湊町(近世) 江戸期の町名伊丹【いたみ】村(伊丹町)を構成する27か町の1つ元禄年間までに成立旧有岡城北西の侍町地区に位置する町名の由来は,町内の雲正坂を東へ下ったところから酒荷物を積み出したことからといわれるが,猪名川通船が許可され,坂下に船着場が設けられたのは天明5年のことであるから疑わしいまた,寛政8年伊丹細見図(伊丹古絵図集成)は,里人の言として,保元・平治年間の頃はこの辺りまで舟が来ていたからとする天明6年には小西屋安治郎ら酒造人2人が居住し,元治元年には樽屋利兵衛らの酒蔵4つがあった(有岡古続語/伊丹市史4)文化14年・文政2年の両度,町内の粕干場で相撲が興行された雲正坂の上には応永27年銘の地蔵板碑がある現在の伊丹市伊丹1丁目の一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 湊町(近世) 江戸期~明治7年の町名西木屋町通上ノ口上ルの町西木屋町通西側の片側町江戸期は雑色領で(府地誌),正徳2年3月に妙法院門跡の開発申請が許可されて以後開発された地(京都大概覚書)町名は川に沿って船舶の繋留所があったことによるという(坊目誌)「宝暦町鑑」によると当町は六条新地の中の1町明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】18番組,同5年第26区に所属同7年に梅沢町と合併し,梅湊町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」