ケータイ辞書JLogosロゴ 南浦村(近世)


愛媛県>吉海町

 江戸期〜明治22年の村名。越智【おち】郡のうち。今治【いまばり】藩領。年不詳だが,江戸中期に沖浦村が改称して成立。村高は「旧高旧領」74石余。なお「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに沖浦村と見え,「元禄村浦記」14石余,「天保郷帳」70石余。貞享元年の「今治藩領改帳」では「本号沖浦村」とあり,村高57石余,家数24軒,うち本家18軒,牛馬7。急傾斜に加えて激しい東風のため,開発されても耕作が困難であったのか元禄2年の「地平均検地帳」では田9反余・畑5町余,荒畑4町余。寛政4年の「島方村村改高戸数」では戸数38。神社は正八幡宮,同社は今治城の北東にあたり,鬼門除けの神社として城山八幡宮ともいわれ,享保20年藩主から鳥居を寄進された。文化2年火災にあい,翌3年庄屋芝田和平太らの努力で再建された。寺院はないが西方に阿弥陀堂がある。明治初期村の中央に功成学校開設。同4年の戸数53・人口300(畝高人員戸数取調帳)。同6年愛媛県に所属。「越智郡地誌」によれば,戸数60・人口302,牝牛30,商船8,土地は地味悪く米作には適さないためムギ・芋を生産。明治12年功成学校が第一昌義学校と改称。同22年亀山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7433627
最終更新日:2009-03-01




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