ケータイ辞書JLogosロゴ 森上村(近世)


愛媛県>波方町

 江戸期〜明治22年の村名。野間郡のうち。松山藩領。村高は郷帳類には見えない。波方【はがた】村の枝村と思われ,「野間郡手鑑」によれば,元文年間の村高41石余,田3町余・畑4町余,家数11軒・人口50,嘉永3年の家数28軒・人口158。当村の開発は越智八郎兵衛が初めと伝え,のちに越智【おち】郡朝倉下村野田(朝倉村),九王【くおう】村からも入植があった。江戸末期には海運が盛んであったが,特に,当村で産する菊間瓦の原料である波方土および薪・瓦の輸送を行い,瀬戸内海沿岸を販路とした。また,それらの輸送にあたる船は泥船と呼ばれた。嘉永5年には菊間製瓦業者が,原料土や職人が他領に流れ不足すること,今治【いまばり】藩領や備後の因島(広島県),芸州大崎島などで20軒余の業者ができ,粗悪品に菊間瓦の極印を入れて販売し,市場を奪うことなどについて藩へ取締方を要請している(菊間町教委所蔵文書)。安政4年守田忠太が農家の炊事用くど造りを開始した。同6年当村の沖で漁をしていた岡村(関前村)の漁船3隻に異国船からボートで異人が漕ぎ寄せ,沖筋案内のためか長吉が船ごと連れ去られた旨を組頭利助に訴えている(大西町井手家文書)。神社は浜田八幡社。明治6年愛媛県に所属。「野間郡地誌」によれば,戸数34・人口178。明治22年波方【はがた】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7433768
最終更新日:2009-03-01




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