山之内(近代)
明治22年〜現在の大字名。はじめ小西村,昭和30年からは大西町の現行大字。大正5年の戸数135・人口890(越智郡々勢誌)。昭和5年の世帯126。明治43年の田55町余・畑11町余。明治35年白石良吉,同40年近藤幸五郎らがミカンを植え,昭和初期にはほとんど全域に普及。昭和初期,大井寺内の聖観世音菩薩を祀る明堂さんは,その霊験により関西一円から連日1万人以上の参詣者を集め,出店が大字脇【わき】の船着場まで並んだという。昭和18年重茂山に大火があった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7433846
最終更新日:2009-03-01