ケータイ辞書JLogosロゴ 穴内村(中世)


高知県>安芸市

 織豊期に見える村名。安芸郡のうち。延慶元年2月の安芸親氏城普請定書によれば,安芸西川(現安芸川),東川(現伊尾木川)流域の村々へ出役を命じた中に「西川之分 二名初山,一名中ノ川,一名安芸川,一名とちの木,一名穴内,一名小谷」と見えるが,この文書は検討を要する(安芸文書/土佐国地方史料)。下って戦国期の弘治元年卯月10日の寺尾内蔵助宛の安芸元盛判物に「為穴内番手申付候」と見えるが(拾遺),これは西からの敵に対して安芸氏が築いた出城の1つ穴内城のことで,当村にはほかに新庄城があり,永禄10年2月28日の川竹弥八郎宛の安芸国虎判物に「新城定番申付候之旨」とある(竹頭)。永禄12年両城は長宗我部氏の攻撃を受けて砦は落ち,安芸勢は安芸城に敗走した(元親記/続群23上)。天正17年の安喜荘地検帳には「自是穴内分」「穴内村」と見え,小村の立岡村(3筆)を含めて総筆数は118筆,当村の検地面積は10町余,うち田5町1反余・屋敷2町8反余・畠1町8反余で,立岡村の3筆が中九郎兵衛の給地,ほかは「散田分」とある直轄地5筆を除いてすべて穴内名である。ホノギには東大谷・ウチヤシキ・新開・スケノ谷・西ノ谷・ナモトヤシキ北新ヒラキ・名本ヤシキ・薬師堂ヤシキ古城・南谷・宮ノ東ノ谷・古城西ノ谷などがある。また同年の穴内之村所務帳には「安喜穴内名内拾取帳之事」とあり,同年の地子は3斗入俵で27俵2斗6升2合3勺,2斗5升入俵で32俵1斗6升2合3勺,ほかに胡麻4升があった。現在安芸市穴内には小字立岡がある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434102
最終更新日:2009-03-01




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