ケータイ辞書JLogosロゴ 今成村(近世)


高知県>越知町

 江戸期〜明治22年の村名。高岡郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳116石余(南路志),寛文7年の郷村石付でも同高,寛保3年の郷村帳115石余,「天保郷帳」では「黒岩村枝郷」と見え131石余。明治3年の郷村帳では黒岩3,696石余のうち。元禄地払帳によれば,本田115石余うち毛利弥三右衛門知行98石余・臼井与左衛門知行16石余,新田171石余うち御貢物地120石余・池川喜三良領知20石余・山崎金次良領知30石。「南路志」では「黒岩之内」と見え,「土佐州郡志」では黒岩村の小村で柴尾村の西にあると記され,村の規模は東西6町余・南北9町余で,「其地砂土」とある。寛保3年の郷村帳によれば,戸数18・人数82(男45・女37),馬7。譲受郷士として橋詰氏が出て,新田開発に意欲をみせた。仁淀川辺に位置する当村の水害は甚しく,安政年間の大洪水には民家はことごとく水没,住民は山中に退避した。その後も大小の水害は絶えなかったが,諸般の事情から完全な防水堤の構築に至らなかった。当地は松山街道の入口にあたり,村の東方を経て安ノ谷・堂岡・黒森山抜けの官道が通じていたが,越知本村からの舟渡しが昭和期まで続き,冬期に板橋を架ける程度で,陸の孤島的な不便さを体験せざるをえなかった。地内南西端,仁淀川妙見淵の巨岩上に妙見菩薩が鎮座し,社記によれば,寛延2年黒岩村より移転,産土神・鎮守神として祀られ,明治3年星神社と改称,同5年村社となる。村内外の尊崇篤く,春秋の祭礼には今成河原が人々で埋まるほどのにぎわいを見せる。境内近傍には神母社も祀られる。明治4年高知県に所属。同21年の黒岩村戸長役場調では,田8畝27歩・畑37町余・宅地15反余・山林7反余,戸数44・人口190(越知町史)。同22年横畠村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434317
最終更新日:2009-03-01




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