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高知県>宿毛市

 明治22年〜現在の大字名。明治29年からは小筑紫町を冠称。はじめ小筑紫村,昭和25年小筑紫町,同29年からは宿毛市の大字。明治24年の戸数166・人口716(男396・女320),厩60,船32。同25年の選挙騒動で中村在住の国民党員菊地儀三郎が自由党員によって当地で襲撃され即死した。同27年真言宗竜巌寺が国分寺派に属して再興したが,昭和37年豊山派となった。永昌寺跡には群馬県の滝華院の隠居寺鳳彩寺が安芸郡奈半利に移っていたのを,明治36年当地へ移し,曹洞宗栄松山鳳彩寺として再興した。昭和27年江戸期の小村であった大海が分離し小筑紫町大海となり,当地は純農村となった。世帯数・人口は,昭和35年147・673,同55年143・500。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434331
最終更新日:2009-03-01




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