ケータイ辞書JLogosロゴ 内ノ浦村(近世)


高知県>宿毛市

 江戸期〜明治9年の村名。幡多郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳8石余(南路志),寛文7年の郷村石付では奥内のうちとして同高,寛保3年の郷村帳では7石余,「天保郷帳」9石余,明治3年の郷村帳では外浦とあわせて50石余(本田23石余・新田26石余)。元禄地払帳によれば,本田7石余は御蔵知,新田14石余は御貢物地。「土佐州郡志」によれば,奥内七か浦のうちで,「東限港浦,西限外浦,南接海際,北連田ノ浦村」として,村の規模は東西10町許・南北3町,戸数52,船20。宝永4年の大津波では亡所となった(谷陵記)。寛保3年の郷村帳では戸数21・人数117(男69・女48),猟銃2,船舶11。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」によれば,庄屋は湊浦村庄屋の兼帯で,老は久之丞,地高は本田7石許,家数13・人数60許,手船1,磯立網1・目シカ網3。「南路志」では家数10・人数60,小船5,網2。庄屋ははじめ当村だけで置かれていたが,のち外ノ浦村・湊浦村などと兼帯となった(宿毛市史)。寺社は,「土佐州郡志」では江潮山宗楽寺・阿弥陀堂・明神社・牛頭天王社・権現社が見え,「南路志」では聖権現(現聖神社)・牛頭天王(現八坂神社)が見え,ほかに恵美須神社があった。宗楽寺は曹洞宗東福寺支配の末寺であったが,明治4年廃寺。同9年内外ノ浦村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434425
最終更新日:2009-03-01




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