ケータイ辞書JLogosロゴ 梅木之村(中世)


高知県>鏡村

 織豊期に見える村名。土佐郡のうち。天正17年の領家山地検帳に「梅木名」,同年の領家山切畑地検帳に「梅木之村」と見え,すべて大黒備前守給地。前者によれば,梅木名分の面積は田3町27反余・畠2反余・屋敷7反余の合計5町1反余。111筆あり,屋敷24筆のうち土居屋敷を含む居住者が19筆に見え,西光寺および天王・若宮の存在が知られる。また切畑分の地検帳には当村分として約2町,30筆が記されている。地検帳の地名のうち石神・ヲウサレ・キトヤシキ・竹ノハナ・柳カサコなどが現在も残る。また領家山地検帳には「爰ヨリ新在家付(村)」「爰ヨリコヤノ谷付(村)」の注記がある。地検帳と現在の小字名とを照合すると,現在の土居平が梅ノ木本村で,それより北部にかけて新在家村・コヤノ谷村と呼称する小村のあったことが知られ,新在家村は,梅ノ木の字新在家付近に比定される。また現在の伊野町中追の郷の谷へ通じる蟹越あたりに字コヤノ谷があり,この付近にコヤノ谷村は比定される。永禄4年5月26日の長宗我部元親判物によれば,朝倉城にいた本山氏が長宗我部元親に攻撃されて敗退した際に,太(ママ)黒神次郎なる者が戦功によって元親から「梅木名」を給与されている(蠧簡集)。当地の給人大黒備前守はこの一統と考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434454
最終更新日:2009-03-01




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