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大崎村(中世) 戦国期に見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大崎村(中世) 南北朝期~室町期に見える村名上総国望東【もうとう】郡金田保のうち文和3年11月24日の前安芸守某(二階堂成藤)奉書(明王院文書/県史料県外)に「金田郷内万石・大崎村等正税事,訴状如此」とあり,鎌倉明王院総社春日社の雑掌が当村地頭代の正税未納を訴えている下って室町期の応永3年(推定)6月19日の伊勢貞信代沙弥道貞書状によれば,当村は室町幕府政所頭人伊勢貞信当知行地となっている(円覚寺文書/神奈川県史資料編3)応永3年,鎌倉の円覚寺が,当地など上総国内3か郷と同寺領尾張国富田荘との相博を申し出るが,その方法は,暫定的に一年間を限ってこれを行い,双方に支障がなければ正式な相博を行うというものであった以後,当村は円覚寺領となり,応永8年10月には鎌倉公方足利満兼が円覚寺領として安堵している(京都大学国史研究室所蔵文書/神奈川県史資料編3)また同26年12月には鎌倉公方足利持氏が関東諸国に散在する円覚寺の寺領・所職などに対して,一括して安堵すべく御教書を下しており,「金田保内大崎村」も寺領の1つとして確認されている(円覚寺文書/神奈川県史資料編3)金田保内とされているところから比定地は小櫃川河口付近かなお「房総志料」によれば,袖ケ浦市坂戸市場所在の坂戸明神社には12の氏子村があったとされ,その中に大崎村が挙げられている... |
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大崎村(中世) 南北朝期に見える村名... |
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