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- 大谷(中世)とは
「大谷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 大谷(中世) 室町期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 戦国期にみえる地名石見国那賀【なか】郡井村のうちか現在の那賀郡三隅【みすみ】町の大谷天文24年9月21日付「毛利元就他二名連署知行宛行状」(萩閥121)に「大谷五拾貫者,可為鳥屋尾麓廻候」とみえるのが初見(萩閥は,「在所は百貫は周布地,大谷五拾貫者」とすべきところを,「在所は百貫は周布地大谷,五拾貫者」としている)慶長3年9月11日付の「毛利輝元安堵状」(萩閥100)には「同国名加郡福屋大谷之内五拾石弐合」とある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 鎌倉期に見える地名豊後国大野郡大野荘志賀村南方に属す大野川の支流平井川の谷の川沿いと思われるが,正確な場所は不明正和5年正月29日の志賀村南方中分惣堺越田堺注文に,「一所大〈大谷〉〈東西限谷河,南北限東方野畠荒□〉」とあるのが唯一の史料であるこれによると,平井川が南北に湾曲した中にはさまれた地域にあったらしい領家方田地で,南北の惣堺を越えて地頭方(東方)田地中に散在した土地の一部である(志賀文書)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 鎌倉期に見える地名小豆【しようど】島肥土荘のうち皇踏山のふもとにあり,大谷川を中心に開かれた地後背に皇踏山系を控え,南は海に面し,東西に細長く延びている平安期に成立した肥土荘の荘域を,鎌倉期に明確化した時,肥土荘の範囲として「西限大谷下藤」と記されている(紀氏旧記/大日料1‐11)ほかに所見なくその後の変遷は不明江戸期の淵崎村のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 鎌倉期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 戦国期にみえる地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 戦国期にみえる地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 室町期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 戦国期に見える地名大沼郡のうち文亀元年12月27日の蘆名盛高加判某売券(山内文書/県史7)に「大沼郡神山之内屋き沢に二間,大谷に彦兵衛在家一間」と見え,地内の在家を売却したことがわかる会津地方中部,現在の三島町大字宮下のうちに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大谷(中世) 鎌倉期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」