ケータイ辞書JLogosロゴ 大野村(中世)


高知県>十和村

 織豊期に見える村名。幡多郡のうち。慶長2年の上山郷十川内大野村他六村地検帳に「十川内大野村」「大野村」などと見え,十川村に含まれていた。同地検帳には149筆が記され,大部分が上山分となっており,作・扣の職が示されている。真光寺の寺中が22代あり,うち堂床3代,ほかは中屋敷。真光寺の寺領は計25筆,9反余で,十川村では最も広く所有する。おもに白井川に4反余の扣地を所有し,領内に3人の作人が家を構え,わずかの田畠屋敷で生活を送っていたものと思われる(十和村史)。当村の加兵衛なる人物は,扣地31反余・作職地17反余・屋敷数9,合計48反余をもつ上山郷を代表する名主であった。ホノギの宮ノワキノ上に「加兵衛ゐ」と記され,扣地・作職地を大野・鍋谷・今成・川口の諸村に広く所有している(同前)。慶長5年2月4日の長宗我部盛親家臣知行書立によれば,上山加兵衛は3町8反余の土地を給与されている(蠧簡集)。なお,応徳2年霜月22日の年紀を有する福良専当他二名連署堺定書(安芸文書/県史古代中世史料)に見える「ふとおゝたゆ二郎おゝのはおの川をさかう」の「おゝの」を当村に比定する説もあるが未詳。なお同文書は検討を要する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434677
最終更新日:2009-03-01




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