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- 大屋敷村(近世)とは
「大屋敷村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 大屋敷村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大屋敷村(近世) 江戸期~明治7年の村名伊那郡のうち高森山東麓,天竜川の支流イタチ川上流に位置する村名由来は,開拓者の家を大屋と呼ぶならわしによるかと思われる天正10年7月26日徳川家康が知久頼氏に伊那郡内の本領69か村,6,000貫を安堵した際の知久本領村書之覚の中に「大屋敷村」と見える(知久文書/信史15)はじめ幕府領,元和5年旗本井上氏領,明暦3年幕府領,天保14年飯田藩領,弘化2年幕府領,同3年陸奥白河藩領となる村高は,「天正高帳」37石余,「正保知行付」も37石余,「元禄郷帳」52石余,「天保郷帳」53石余,「旧高旧領」も同高戸口は,延宝5年6戸,弘化2年6戸・40人,明治元年6戸・35人安政6年の南山騒動に参加,白河藩の年貢を幕府領並みへ引き下げることに成功した鎮守は富士浅間社明治元年伊那県,同4年筑摩県に所属同7年七和村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大屋敷村(近世) 江戸期の村名県中央部,荒川と入間【いるま】川の間に位置する比企【ひき】郡のうち古くは八林【やつばやし】郷土袋【つちぶくろ】荘川島領に属したというはじめ幕府領,寛永16年からは川越【かわごえ】藩領地名は中世の土豪屋敷に由来するという(地名誌)村高は「田園簿」では165石余元禄年間の頃,上・下に分村現在の大字上大屋敷・下大屋敷付近... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」