ケータイ辞書JLogosロゴ 尾川村(近世)


高知県>越知町

 江戸期〜明治22年の村名。高岡郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳732石余(南路志),寛文7年の郷村石付では「小川」と見え同高,寛保3年の郷村帳では732石余,「天保郷帳」749石余,明治3年の郷村帳では1,281石余。度賀野荘西山村近沢分10町余を加えて成立。元禄地払帳によれば,本田は深尾若狭知行732石余,新田は深尾若狭役知30石余。「南路志」庄田村宮原寺の条に収められた慶長5年12月24日付の宮原寺宛の山内康豊書状には「黒岩・三野・大川・小川・別府此五ケ所之儀前々より貴僧御肝煎之由承及候間」と見え,当村をはじめとする村々の農民が山中へ逃散するという事件が起きていることがわかる。また同6年8月19日の深尾与右衛門宛の山内一豊知行宛行状には「佐川城付」として「六拾弐町三反四十四代壱分 尾川本村」のほか「尾川分 入沢村」「尾川分 加茂村」5町2反余が見え,当村をはじめとする村々が深尾氏に宛行われている(深尾文書/佐川町史)。「土佐州郡志」によれば「東限三野村之川,西限長者村三方之辻,南限半山村,北限大平村川,東西百五十町余・南北五十町余,戸凡二百八十余,此地沙土」と記され,小村に門之本・高平・尾川下・茂知加乃登・波左古・西山・引地・馬木野・堂之野・山風呂・石之休場・古畑・川奥・峯村・真国村・南之川がある。寛保3年の郷村帳では,戸数296・人数1,597(男829・女768),馬224。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」によれば,庄屋片岡曽右衛門,高732石余,新田21石余,「田方六歩,畑四歩通り」,家数333・人数2,070,馬233,猟師筒11,紙漉23,「作間働紙漉并葛蕨も少々ツツ,専佐川より須崎浦へ運送,或者柴薪等を以相凌」とある。近世初期に尾川川の掘替工事が行われて新田開発が大きく前進し,この工事に際しては当村出身の第2代深尾氏側室の援助によるところが大きかったといい,今に歌に唄われているほどである。寺社は,「土佐州郡志」では桃源院・観音堂2・祐清堂・地蔵堂7・不動堂・山神林・荒神社・天神社・山神・山王権現社2・神母社・大本社・大多石社・五社大明神社3・山神岩5・鳥宮神母林・石神2・石神之岩・神母林・山神社,「南路志」では天満天神・三室荒神・五社大明神・荒神2・惣護智二社大明神・大本大明神2・観音2・六地蔵2・不動・地蔵4・地蔵大師・大日・大師・禅宗青源寺末不動山桃源院。馬匹守護の古畑観音の祭日には乗馬や牽馬の参詣人でにぎわったという。明治4年高知県に所属。同22年市制町村制施行による尾川村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434770
最終更新日:2009-03-01




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