ケータイ辞書JLogosロゴ 越知(近代)


高知県>越知町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ越知村,明治33年からは越知町の大字。地内は甲・乙・丙・丁に分かれる。明治24年の戸数606・人口2,726(男1,446・女1,280),厩145,船71。甲は本村と称された地域で,町の中央を東西に走る町道(旧国道)を中心に明治期以来急速に発展した町の心臓部にあたる。昭和49年に開通した国道33号は,市街部南側を通り,また仁淀川沿いの県道も拡張整備され,沿線にそれぞれ官公署・商店街が並びはじめ,厚みのある町筋を形成しつつある。町内の官公署の多くは当地に集まっているが,特に南方段丘を開拓し,昭和57年に完成した町民総合運動場・町民会館は,高岡郡北部一の規模と設備を備えている。甲の世帯数・人口は,昭和25年948・4,075,同58年1,766・4,982。乙は遊行寺地区で,中世はじめ高岡郡北部一円を領した別府氏の発祥根拠地で,遊行寺の名に教宣頒布の面影をとどめ,廃寺跡付近には,青去ヤシキ(阿闍梨屋敷)のホノギが広く残っている。乙の世帯数・人口は,昭和25年80・406,同58年77・230。丙は越知町随一の水田地帯の文徳地区をいう。仁淀川の増水時には島状に孤立するので,古くから文徳島とも称された。丙の世帯数・人口は,昭和25年54・252,同58年70・241。丁は楠神地区をいう。急峻地のため林産・茶業・甘藷栽培を主としてきた。横倉山頂への徒歩登山道は中世からこの地を通り,現在もこの急坂を登る参詣人は多く,この7合目付近の桜の奈路には眺望絶佳の展望台がある。丁の世帯数・人口は,昭和25年58・300,同58年40・150。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434839
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ