ケータイ辞書JLogosロゴ 小野村(中世)


高知県>十和村

 織豊期に見える村名。幡多郡のうち。慶長2年の上山郷小野村他一村地検帳に「小野村」と見え,細々村・窪川村・小野村・ホキ村・井崎村・鮎古村・柳瀬村・大道村の小村からなる。このうちホキ村・鮎古村・柳瀬村は江戸期井崎村のうちとなり,現在大字井崎の通称地名保喜・相後・柳瀬として残る。検地面積は本田23町9反余・出田14町3反余・本屋敷2町7反余・出屋敷1町2反余・本畠7町6反余・出畠4町6反余・切畑3町余・荒2町9反余。すべて上山分。当村には3人の名本がおり,小村の小野村のホノギの「ヒノクチ北名本ヤシキ□□□かけて」に源五良,大道村のホノギの日流ノ上に又六,同じく「かけち」に左衛門三郎がいる。この3人は扣地を広く保有し,各村で名主としての経営をもちながら村役人として多くの作人層を掌握している。小村の小野村のホノギの寺中にある願成寺の寺領は合計1町3反余で,村内で特に広い土地を所有し,寺領内に2軒の屋敷がある。なお天正16年の上山高山ハタ地検帳にも「小野々村」と見え,6筆が記されており,小村の柳瀬村・アイコノ村・ホキ村・細々村・大道村なども記載されている。江戸期の小野村内の祇園社には元久元年の年紀を有する棟札がある(古文叢)。なお,当村の蘇我社(宗我大明神)に残る棟札には各々当村周辺の土豪と考えられる願主・旦那の名が見え,文明3年霜月21日銘の棟札には「願主辛巳平氏三郎左衛門重信・同平氏九郎左衛門重安」,永正9年11月21日銘の棟札には「当社大旦那 上山越前守康重 平氏小野掃部介重弘 当村之内各々旦那繁昌自他加幸」,天文18年12月1日銘の棟札には,「当社大旦那 上山藤兵衛尉重義 小野左衛門尉重国……地吉左京殿」の名が見える(十和村神社棟札全集)。なお応徳2年霜月22日の年紀を有する福良専当外二名連署堺定書(安芸文書/県史古代中世史料)に見える「ふとおゝたゆ二郎おゝのはおの川をさかう」の「おゝの」を十川村の小村大野村に,「おの川」を当村を流れる四万十川に比定する説もあるが未詳。なお同文書は検討を要する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434845
最終更新日:2009-03-01




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