ケータイ辞書JLogosロゴ 片岡本村(中世)


高知県>越知町

 織豊期に見える村名。吾川【あがわ】郡のうち。天正18年の片岡本村地検帳に「土佐国吾川郡片岡本村御地検帳」と見える。同地検帳によれば,村内には片岡村(片岡本村)・黒瀬村・梶木村・谷内村・桑藪【くやぶ】村・中河内村・佐井川村・中村・蒲井田村・アソヲノ村の小村を含み,検地面積は44町9反余うち田5町4反余・畠19町3反余・屋敷16町2反余・荒地3町8反余,このほかに山畑32町5反余・切畑75町2反余があり,すべて西古味名に属し,片岡氏領。当時,小村である片岡村には土居屋敷・西屋敷・岡屋敷の付近に80余軒の商家が軒を並べ,大道辻の茶園堂付近は仁淀川水運による貨客のにぎわいが夜を徹したといわれ,織豊期には長宗我部氏の片岡山からの槙材搬出が大量に行われている(木屑)。寺社については,片岡威徳四寺と称された法厳・台住・善光・妙福の4か寺がその伽藍と教宣を誇っていたが,台住・善光の2か寺は退転,小字名が残る。妙福寺は片岡氏の祈念寺で,天正4年以前の建立,寺領1町5反が寄進され,境内に片岡左衛門督の墓がある(南路志)。裏山に片岡城,東方の岡本山上に支城法厳城,その山麓に法厳寺があった。慶長2年3月24日の秦氏政事記には当村のうち「黒瀬・かまい田・じめう」の庄屋として岡林杢介・柳瀬彦兵衛の名が見える(蠧簡集)。なお江戸期には同地検帳に見える10か村のうち片岡村が本村となり,谷内村は片岡村の小村となった。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7434956
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ