ケータイ辞書JLogosロゴ 熊井村(近世)


高知県>佐賀町

 江戸期〜明治22年の村名。幡多郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳77石余(南路志),寛文7年の郷村石付でも同高,「元禄郷帳」76石余,寛保3年の郷村帳でも同高,「天保郷帳」では伊与喜村の枝郷として85石余。明治3年の郷村帳では伊与喜1,705石余のうち。寛保3年の郷村帳では戸数16・人数67(男35・女32),猟銃1,馬22。「南路志」「土佐州郡志」ではともに伊与喜郷のうちとある。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」によれば老庄兵衛,本田76石余・新田12石余,家数13・人数63,馬12。寺社は,「土佐州郡志」では勝軍地蔵・熊野権現・明神社,「南路志」では法泉寺・熊野三所権現・若宮八幡が見える。法泉寺は退転して本尊将軍地蔵のみ残るが,伊与木弥平次が豊後の陣の節祈願して勧請したと伝える。明治4年高知県に所属。同7年,佐賀の乱に敗れて土佐に落ちのびた江藤新平の一行のうち,山中一郎・横山叙臣が当地で峠の茶屋を営む治衛門方で休憩したのち,治衛門の案内で橘川で泊したが,翌日逮捕されている。同22年佐賀村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7435400
最終更新日:2009-03-01




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