ケータイ辞書JLogosロゴ 来栖野(近代)


高知県>三原村

 明治22年〜現在の三原村の大字名。明治22年の土地台帳によれば,耕地などの面積は田12町1反・畑3町6反・宅地8反。同24年の戸数23・人口115(男62・女53)。世帯数・人口は,昭和20年34・151,同40年57・194。明治22年三原村役場はもとの来栖野外十一ケ村連合組合戸長役場に置かれ,以来現在まで当地が役場所在地となった。同25年柚ノ木簡易小学校は,三原尋常小学校と改称,同校は同27年暴風雨に遭って校舎が倒壊したため宮ノ川の氏神八幡神社や郷社五社神社などに移転した。大正14年の当地の地区有林面積は45町9反余で,統一整理の結果,直営地15町6反余・地上権地14町9反余・移転地15町3反余となった。また第2次大戦後の農地改革で国に買収された田畑は田4町2反余・畑9反余である(三原村史)。当地は地理的に三原村の中心地で,官公署の出先機関があるが,道路の整備は非常に遅れ,大正4年郡道伊豆田線改修に着工,昭和17年全線開通した。その一部は林道であったが,同34年県道宿毛下ノ加江線として認定された。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7435413
最終更新日:2009-03-01




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